yunojixのブログ

2014年5月生まれの第1子と、産後2ヶ月で休職した夫との暮らしを綴るほのぼのブログです→夫は無事に復職しました

勉強はしないよりもしておいた方がいいわ、と思った

森高千里さんの声って脳内再現力高いですよね。

さて、家族三人、電車で1時間半ほどの行楽地へ行きました。今回は抱っこ紐(エルゴ)で。エルゴやらビョルンやらのベビーキャリーを「紐」と呼ぶには無理があるよなといつも思うけどそれはまあどうでもいい話。

相変わらず人々は優しい。

立っていれば必ず誰かが席を譲ろうと声をかけてくれるし、座っていれば隣の人が子供に笑いかけてくれる。1時間弱、乗り換えなしで乗りっぱなしの経路だったにも関わらず、子供が飽きてぐずらなかったのは色々な人に代わる代わるあやしていただいたおかげだと思う。

その、乗り換えなしの路線で隣に乗りあったご夫婦が手話で会話していた。

手振りは小さく、会話もときたま控えめに交わすだけだった。だから隣にいてもご夫婦が手話話者であるのかどうかしばらくはっきりとしなかったのだけど、女性が声を出さず表情豊かに子供をあやしてくれたときに、あれはやっぱり手話だったんだとわかった。

ご夫婦が私達家族よりも先に電車を降りる様子だったので、産後に鈍りきった脳みそをフル稼働させて、記憶の彼方にあった簡単な手話を引っ張り出した。

そしてご夫婦が席を立とうとして子供に手を振ってくれたとき「ありがとうございました」と、小さめにやってみた。

小さめだったのは本当にご夫婦が手話話者なのかとか、引っ張り出した手話がこれで合っていたっけとか、なにか失礼にあたらないだろうかとか、もろもろ自信がなかったからなのだけど、私の手話を見た男性がびっくりした顔をして「手話ができるの?」と返してくれた。

「少しだけ」と私が返すと、私が手話の勉強中だと思ったのか「驚いた。がんばって!」と大きくゆっくりと見せてくれて、ご夫婦ともに笑顔で手を振って電車を降りていった。

海外旅行先で偶然隣り合った人から日本語で挨拶されたというようなことと同じで、人によるのだろうけど、それが予想もしていないことだったなら私は少し嬉しい。

ご夫婦がびっくりした顔のあと、すごく嬉しそうに話してくれたので(私の知識がなく、全部を正確に理解することはできなかったけれど)、ああ、少しだけでも手話を知っていて、勇気を出してやってみて良かったなあ、と、こちらもまた嬉しくなった。

反対隣にいた夫は、私とご夫婦が手話を交わしたことは気づいていないかもしれない。他の人と同じように女性が子供をあやしてくれて、私がありがとうございましたと言って、別れ際にご夫婦が笑顔で手を振ってくれた、と、普段と同じ「少し嬉しいこと」だったと、おそらくそういう風に思っている。

ちょっとした自己満足なのだけど、こういうのはいいなと思う。

これまで学んだことの何かが、日常生活で、とりわけ実益に直接繋がらないことで使えるのはとても気持ちがいい。それでもし誰かが少し喜んでくれるとしたら、とても幸せなことだ。