yunojixのブログ

2014年5月生まれの第1子と、産後2ヶ月で休職した夫との暮らしを綴るほのぼのブログです→夫は無事に復職しました

自分で決めることがとても多い世の中

はてなこわいわー。
 
さて、この記事を読んで、まあ書籍のプロモーションなのだけど、とても興味深いなと思ったところがあった。
ジェンダーで「いる」(be)のではなく、ジェンダーを「している」(do)
なるほど自分の性のありかたを選ばなくてはならない時代や社会が現実にありうるんだなと。
 
かつて居住地や職業が選べない時代があったようだけれど、いまはそれなりに自由に選んで決めることができる。結婚や出産もするかしないか決めるのは個人の自由だしその権利を何人たりとも侵害してはならない、なんならアンタッチャブルですという雰囲気だってある。だから性のありかたも自分で決めるのがあたりまえで、何人たりともその権利を侵害してはならない、みたいなことになっても確かに驚くべきことではないし、実際世の中(ってどこなのか知らないけど)はそういうムードなんだろう。
 
自分で自由に決められることが多い世の中は、基本的に歓迎すべきものだと思っている。思っているのだけど、性のありかたに限った話ではなく、何でもかんでも自分で決めなくちゃいけないのは正直きついなーとも感じる。
 
例えば私はいわゆるワーキングマザーで、子育てと仕事をどちらもすることを自分と家族と会社で決めたわけだけど、それで毎日忙しいとか子供との時間がない(実際はそれなりにある)とかいうのは自分たちで選んだことの結果だからそこで生まれる葛藤みたいなものは引き受けなくちゃならないと思ってる。それはときどき辛くなって家出したりしながらも、少なくともいまのところは、家族や私を取り巻くひとびとに理解を得て助けてもらいながら引き受けきれる容量だ。
でも、自分で決めて自分で葛藤を引き受けることの範囲が際限なく広がる社会があるとしたら、人と社会はそのストレス(いいストレスもわるいストレスもある)に耐えられるのか。いきなり際限なく広がるわけではないだろうから、徐々に徐々に訓練されて耐えられるようになっていくものなのか。それってなんかすごいことだ。
 
そういう方向での社会の成熟の仕方はとても興味深く思う。
あと、ちょっと違う次元の話になるけど私たちの子供が生きる時代はきっと私の生きた時代よりも自分で決めなくてはならないことが多いだろうから、自分で選ぶ、決める、結果を引き受けるという経験をしておくことがより大切なことになってくるのかもしれない。なので、子供にはそういう経験と、本当に困ったときには自分だけで結果を引き受けようとしないできちんと周囲に助けを求めることも同時に経験できるような手助けをしたいと少しだけ思った。